生成AIと絵師さんたちへ。種子島に火縄銃が来た日のこと

生成AIと絵師さんたちへ。種子島に火縄銃が来た日のこと

最初に言いたいこと

絵師さんたちの怒りは、痛いほどよくわかります。長年かけて磨いてきた技術と表現力が、AIによって代替可能になりそうな気がする。その理不尽さと喪失感は、決して大げさではありません。

私はAI生成を積極的に使っている立場です。だからこそ、この問題から目を背けずに書きたいと思います。

モノづくりの世界でも同じことは起きていた

私はmoftechという猫用品メーカーを運営しています。モノづくりの世界では、競合他社の商品を参考にすることは程度の差こそあれ、以前から存在していました。ひどい場合は、商品を仕入れてその寸法を測り、ほぼ同じものを格安で販売するという行為も起きています。友人の商品のそっくりさんがある日100円ショップに並んで憤りを感じたこともあります。

これは人間がやっていることです。AIだから特別に悪いということではありません。技術や創造物が模倣される苦しさは、絵師さんたちに限った話ではない気がします。

私自身も「奪われる側」になっていく

正直に言います。私もAIに奪われる側です。

コンピュータープログラムのコードを書けるようになるために、多くの時間をかけてきた人たちがいます。そのノウハウの価値が急速に小さくなっています。最近では3D-CAD(立体的に製図をするソフト)にもAIが搭載されたと聞きました。近いうちに商品の設計もAIに代替される日が来るでしょう。

長年かけて積み上げてきたノウハウの価値が突然小さくなる。その変化に怒りや恐怖を感じるのは、絵師さんたちだけではありません。私も同じ場所に立っています。

種子島に火縄銃が来た日

私はこの変化を「種子島に火縄銃が持ち込まれた」と表現しています。

1543年、種子島に火縄銃が伝来したとき、それは決して良いことではなかったと思います。戦いのルールが根本的に変わり、それまでの武士の技術・訓練・誇りが一部無力化されました。しかし好き嫌いに関わらず、その後の日本の歴史は火縄銃を前提として動いていきました。お城の形も、戦の作法も、全て変わりました。

AIも同じです。倫理的におかしいと感じても、好きではないと思っても、AIのなかった元の時代に戻ることはできません。

だからこそ、権利の仕組みを作るべきだと思う

ただし、諦めることと権利を主張することは別の話です。

音楽業界にはJASRACという著作権管理団体があり、楽曲が使われるたびに権利者に使用料が還流する仕組みがあります。イラスト・アニメの世界でも同様の仕組みが作れるはずです。

私はプロンプトに「○○風」と特定のクリエイターの名前を書くことはしていません。しかし仮に「いくらか払えば書ける」という仕組みができたとしたら、喜んで払う人は多いと思います。クリエイターへの敬意を、仕組みとして形にすることは必ずできるはずです。

残された道はひとつ

絵師さんたちへ伝えたいのは、これまで通り手で描く、AIを積極的に使う、それは問いませんが新しいクリエイティビティを発揮するしかないということです。これは冷たい言葉ではありません。火縄銃が来た後の武士たちも、新しい戦い方を学んで生き残った人たちがいたのだと思います。

AIと戦うのではなく、AIを道具として使いこなす側に回る。その苦しい決断を、私自身も毎日しながらmoftech5を作っています。もちろん説得力のあるビジネスプレゼン資料や、プログラムの作り方、語学やマーケティングの手法まで、あれほど時間をかけて学んできたものは何だったのかとは考えないようにしています。

同じ時代を生きるクリエイターとして、この変化を一緒に乗り越えていきたいと思っています。

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